だから愛を唄おう

Snow Manの阿部亮平くんが好きです。

ジャニオタはもっと「担当制度」について軽く考えてもいいと思う





タイトルの通りである、世間のジャニオタは「担当制度」について少々重く考えすぎてはないか?と思うのだが、まぁ100人のオタクがいれば100通りの応援の仕方があり100通りの担当制度があってもなんらおかしくないので、あくまでわたしの考える担当制度、担当に対する価値観の話でもしようかと思う。




「担当」とは -受け持つこと。引き受ける、という行為そのものを指す場合と、その事項そのものを指す場合がある。「きみの担当はこの地区だ」という場合は後者。



検索をかけてはじめて知った、担当って追っかけ用語のひとつだったんですね…。これ知らないひと結構いるのでは?と思ったんだけどどうだろう。わたしは割と小さいころからジャニーズが好きだけどその頃からもちろん「担当」という制度はあったし、自己紹介には必ず「◯◯担のきなりです」という風にジャニオタには担当がいて当たり前、みたいな風潮があった。


そもそも受け持つ、引き受ける、って何をだよ!!って話だ。最近女子ドルが好きなひとと仲良くなって話す機会が多いけれど「推し」と「担当」の違いについてもきになるところだ。わたしの考えでは「推し」は世間に世界に「この子おすすめですよ!!!この子はこんな風に可愛くてカッコよくてすごいんです!」ってステマする、世界に広げる、押し出す、イメージなんだけど、担当はなんていうかもっと、自分の世界に閉じ込めるイメージがある。だからこそ「同担拒否」なんて言葉が生まれたんじゃないだろうか?担当っていう言葉で応援しているひとは、もっと人気が出て欲しい反面どこかで有名になって欲しくない、自分の世界に閉じ込めてしまいたい、なんて思いがあるんじゃないだろうか。まぁ今回この話は余談なのでまたの機会があれば考えてみようと思う。

ある方の担当についてのブログを見たときに「担当」は「彼氏」と似たようなもの、という言葉を見て妙に納得した記憶がある。担当だからなんだって話だし、担当だからやっていい、担当じゃないからやっちゃいけないことなんてない。担当なんて所詮自分だけの自分の気持ちの問題であり周りなんか元から関係ない。けど、「◯◯くんの担当です」っていうレッテルは、担当じゃない人と比べて、その人の話をするときどう考えたって「強く」なる気がする。担当である優越感、担当である特別感、まぁ言ってしまえばただの自己満足なんだけど。「担当」は「彼氏」であるから二人いるのはおかしい、そういうことだ。



それで、だ。わたしも少し前まで「担当制度」の縛られている感じがどうも苦手で担当を名乗っていなかった時期がある。自己紹介するときは面倒だからそのときいちばん好きなひとな名前を挙げて担当だなんて言っていたけど、実際のところ自分で担当していた意識なんてこれっぽっちもなかった。そもそも自分はとんでもなく飽き性で熱しやすく冷めやすいタイプだから担当になってからどれだけ持つかが分からない。まぁ別にすぐに降りたって誰かに咎められる必要なんかないんだけれど、何故かそれが「やってはいけないこと」だと思っている、っていうか「担当制度」があるのも「掛け持ち」があまりよく思われないのもすべて自分たちで勝手に作り出したルールであり「風潮」でしかない。周りの目なんか気にしなければもっとみんな自由に担降りができるし掛け持ちをする人だって増えるんだろうなぁと思う。でも結局のところわたしもその風潮に飲み込まれて掛け持ちにどこかしら気づかずに偏見を持ってるんだろうなぁ。自分で自分の首締めてるんだよね、みんな。SNSは他のオタクと情報交換をしたり意見交換をするのにはとても便利なツールだけれど、一度自分で「◯◯くんの担当です」と言ってしまえば周りももちろんそういう認識になり「◯◯さんは◯◯くん担当」というレッテルが貼られてしまう。実はこれがいちばんややこしいんじゃないか?と思う。たぶん一人でオタクをして誰とも交流せずにいたら降りることに、掛け持ちをすることに対して抵抗はないんじゃないかと思う。だって◯◯くん担当の◯◯さん、というレッテルが周りから貼られていないから。そういう意識とか自覚とか縛られている感じが薄くなると思う。担当だからCDを買わなきゃいけない、好きでいなきゃいけない、コンサートにいかなきゃいけない、それは周りの担当がそうしているから、自分もそうしなければならない、って思ってしまうんじゃないかな。周りの考える「担当」にいつの間にか縛られていませんか?あなたにはあなたの担当があって、もっとフラットに自由に担当していいと思うんです。なんて言葉もまぁわたしの考える担当に過ぎないんだけどね。

だからまぁ、こんなたらたら文章を書いて何が言いたいのかというと「周りの目なんかきにするな」ってことだ。降りるときにいちばん気にしてるのって自分の気持ちというより周りの目じゃないのかな?そもそも降りるか迷い始めてる時点でそれはいつか降りる時が来るだろうしある程度自分の中で答えは出ているはず、だ。






わたしも最近周りの担当という意識に日々頭を抱えているけれどいつか決心がついたらわたしも例に漏れず「担降りブログ」書こうかなぁ。久々に長文書いて楽しかったです!